出雲の國たたら風土記(鉄の道文化圏) によると、(部分引用紹介)
中国地方のたたら製鉄遺跡は、 石見 いわみ (島根県西部)、 出雲 いずも (島根県東部)、 伯耆 ほうき (鳥取県)、 備前 びぜん (岡山県南東部)、 備中 びっちゅう (岡山県西部)、 備後 びんご (広島県東部)、 美作 みまさか (岡山県北東部)、および 播磨 はりま (兵庫県西部)の各地で確認されています。
中国地方における製鉄遺跡の概要
・6世紀後半から11世紀頃まで――吉備国に集中
・11世紀から16世紀頃まで――中国山地周辺、石見・出雲に移動
・近世(江戸時代初期以降)――「近世たたら」の確立へ
・近世には生産量日本一となった奥出雲地方
和鉄生産高が最高となった明治18年(1885)には、中国地方が全国の約96%を占め、そのうち奥出雲地方(旧島根県仁多郡・飯石郡、現在の奥出雲町・雲南市)は46%を占めるまでとなりました。
<以上 引用終わり>
島根県飯南町には、下記の紹介がありました。
弓谷たたら跡 より抜粋紹介
弓谷たたらは平成10年に発掘調査された製鉄遺跡です。この調査では砂鉄と木炭から鉄をつくる日本古来の製鉄法である「たたら製鉄」の様子が明らかになりました。発掘調査された高殿たたらの地下構造は全国最大級の規模であることがわかりました。
製鉄遺跡の操業年代がわかる事例はたいへん少なく貴重な発掘調査になりました。
弓谷たたらの製鉄炉は7メートル間隔の4本柱で支えられた直径20メートルの円形の建物中にあったと考えられています。地上の製鉄炉は一回の製鉄が終わると壊してしまうので残っていませんが、地下構造(地上の製鉄炉に地下からの湿気が浸入してこないように製鉄炉の地下に造られた防湿構造)の規模などから長さ3.2メートル、幅1.4メートル、高さ1.2メートルの角型の炉であったと推定されています。
地下構造はおよそ13メートル×6メートル、深さ3メートルの区画に、石や粘土で空洞や排水施設を造ったり、木炭を敷き詰めた層を重ねたりしながら何層にもわたって精密に積み上げられていました。トンネル状につくられた空洞の壁面には木材の跡が残り、燃焼材とした木材を粘土で覆った後、焼きぬくことで空洞部分を作り出した様子が伺えます。
引用終わり
明治になり西洋から高炉法が入ってくると、たたら製鉄は急速に衰退して産業としては消滅。
その後、公益財団法人 日本美術刀剣保存協会(略称 日刀保)や有志が、「日刀保たたら」を復活させ年1回程度の操業を行っています。
2022年には、鋳造カレッジ(日本鋳造協会)修了生でつくる鋳造技師会が、有志を募りマイクロたたらにチャレンジし、ヨシワ工業殿工場内でのトライでは、数時間の操業で、わずかながらもケラの製造に成功したとのことです。