先に、品質面では世界最高レベルだった「たたら製鉄」が、明治維新後に西洋から入ってきた高炉法であっというまに駆逐されたことを報告した。
半導体製造でも同様のことが起こっていたと。
鋳造産業でも、世界との競争の中で同じことが起こらないようにお客様業界も併せての自戒が必要だ。
鋳造業での問題点は、
1.零細・中小規模企業が多く設備更新投資や人材育成・技術や生産性の改善が進まない
2.お客様の過剰品質要求でコストダウンができない
3.直近では少子高齢化で若手人材が調達できない、外国人材も制度変更で困難に
※鋳造産業は受託生産産業なので、発注側のお客様が自覚しないと過剰品質問題を自主的には解消できない
最近日本半導体産業が敗退した原因調査研究報告の主要部分を他山の石としてプレジデントの記事から引用紹介する。
経産省が出てきた時点でアウト…日立の元技術者が「日本の半導体の凋落原因」として国会で陳述したこと 「技術で勝って、ビジネスで負けた」は大間違い
湯之上 隆 半導体産業コンサルタント、ジャーナリスト
https://president.jp/articles/-/69408?page=2
■1980年には世界シェアの80%を独占したが…
日立を辞めた後、紆余曲折の末、辿り着いたところは、経営学研究センターが新設された同志社大学だった。今でいうところの特任教授(当時は専任フェローと呼んだ)のポストに就き、約5年間の任期で、「なぜ、日本のDRAM産業が凋落したのか?」を研究した。
その分析結果を要約すると、次のようになる。
日本が強かった1980年代半ば頃、そのDRAMはメインフレーム(汎用の大型コンピュータ)用に使われていた。その時、メインフレームメーカーは、「壊れないDRAM」として25年の長期保証を要求した。驚くことに、日本のDRAMメーカー各社は、本当に25年壊れない超高品質DRAMをつくってしまったのである。それで、世界を席巻し、1980年の中期には世界シェアの80%を独占した。これは、技術の勝利だった。
ところが、1990年代にコンピュータ業界にパラダイムシフトが起き、メインフレームの時代は終焉を迎え、パーソナル・コンピュータ(PC)の時代がやってきた。そのPCの出荷額の増大とともに、韓国のサムスンがDRAMのシェアで急成長してきた。
この時、サムスンは、「PC用に25年保証は必要ない。5年も持てばいい。それよりも、PC用DRAMは安価でなければならない。その上、PCの出荷台数が桁違いに多いから、そのDRAMは安価に大量生産しなければならない」という方針でDRAMを製造し、日本を抜き去ってシェア1位に躍り出た。
■ビジネスだけでなく、技術面でも負けてしまった
この時、筆者は日立の半導体工場でDRAMの生産技術に関わっていたが、筆者も、日立も、日本の他のDRAMメーカーも、誰もがPCの出荷額が増大していること、サムスンのDRAMのシェアが急成長していることを知っていた。
しかし、そうであるにもかかわらず、相変わらず日本のDRAMメーカーは25年壊れない超高品質をつくり続けてしまっていた。その結果、サムスンの安く大量生産する破壊的技術に駆逐されたのである。
日本のDRAM敗戦について、「技術で勝って、ビジネスで負けた」という人がいるが、それは間違っている。日本は、韓国に、技術でもビジネスでも負けたのである。もっと言うと、技術で負けた要因が大きい。
それは、日本が撤退する直前の64メガDRAMのマスク枚数を見てみれば、一目瞭然である。おおむね微細加工の回数を表しているマスク枚数を比較すると、日立29枚、東芝28枚、NEC26枚だったのに対して、韓国勢は20枚くらい、米マイクロンに至っては約半分の15枚でPC用DRAMをつくってしまった。 当然マスク枚数が多いほど、工程数も多くなり、高額な微細加工装置の台数も多くなる。それ故、製造装置の原価がかさみ利益が出ない。その結果、日本のDRAMメーカー各社は大赤字を計上し、撤退に追い込まれていったのである。これは、明らかに、技術の敗北である。