鋳造に携わるようになって、ある大企業の製造所のトップを務めた鋳物人の話を聞くことがあった。
鋳造は製造部門の花形で、求められる幅広い技術と人・組織をマネージする能力が高く評価されたのだと。その人は、三菱重工三原製作所が最盛期の頃の鋳造部門から所長を務めた矢作恭蔵さんで、その見識や人格で多くの人に尊敬されていた。
今、鋳造業に携わってみるとなるほどと思える。
鋳造は、大小規模を問わず、金属の溶解・型作り・注湯・バラシ・仕上げ・加工・出荷の中で、お客の求める品質・納期・コストを実現できるように、材料の金属の目利きや、電気炉やキュポラなどの溶解炉、大量の砂をリサイクルしながら利用する砂処理設備、そうして整えた砂を製品の型につくる造形機械、電気・機械・大きな設備全体を連動させて制御する装置、そうした仕事を成り立たせる多くの人との連携のための組織作りや日々の運営、いまだに解明されつくせていないために起こる数々の問題への対処、まさに総合的な製造業で音楽で言えば独奏や少人数のバンドじゃなくて、オーケストラに相当する事業で、経営者も職場で働く人々もそれぞれの楽器パートのプレイヤーとオケやパートリーダーや指揮者を同時に兼務しているような仕事だ。
だから、鋳造業に携わる人の仕事の中身は「総合工学・総合ものつくり業」なのだ。
ただ、残念なことに1500度などの高温に耐える型の材料の砂を大量に扱うことや、溶湯を扱うために、製造環境は従来必ずしも快適な環境とはいえなかった。
近年、改善されてきたとはいえ、都会の快適なオフィスで仕事するのとは異なる環境だ。
経営に余裕がある企業は、職場環境を改善して過酷な環境は昔話になっているが、多くの鋳造工場はまだまだ改善の余地がある環境だ。
しかし、人類が生活する世界は鋳造工場から生み出されるものなくしては、成り立たない。
都会の人々が食べるおいしい食事を支える農業や漁業は、鋳造工場で作られた機械部品なくしては動くことができない。
農業機械が大きな力を発揮する仕組みも、建設機械が動作するのも、家々に水道を送るポンプも、人々が快適に移動するための自動車や列車も、そうした機器を加工する工作機械も、鋳造なくしては存在しない。
まさに鋳造製品は人類の生活を支えているから、サポーティングインダストリーといわれるのも当然だ。
鋳造業は、素形材産業として、ものつくりの最上流に位置していて、数多くのものつくり産業を下支えし、協力しながら人類の役に立つ働きをしている。
鋳造に携わる人たちは、その製造現場のあまりにも多様で日々直面することに追われて、面白過ぎて、経営改善の必要性の認識と実行には目を向けてこなかったそしりがあるともいわれる。顧客に頼まれれば赤字でも引き受けてしまうことも多かったようだ。安くなければ仕事が受けられないという強迫観念もあった。
意義を感じすぎるために家業として経営するため、連携が不得意で小規模企業が多いことも、関係している。
このため必ずしも鋳造業には、現代に通用する利益と経営環境や職場環境ができていないところも多いのが実態だ。
鋳造業が、もっと高く評価され、しっかりした利益を確保しその環境を改善しできて若い人が希望をもって入ってくるようにするのは、今現在鋳造業に携わりその意味と意義を理解する私たちや、その製品を必要とする人たちの責務だと思う。
日本鋳造工学会中国四国支部 常任理事
藤原愼二