史料価値があると思われるため、日経の記事を引用紹介します

https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUF258J90V20C24A9000000/

兵庫は全国2位の「鉄の県」 高・電炉集積、鋼材生産多岐に

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山陽特殊製鋼は電炉を用いてステンレス鋼などをつくる

兵庫県は鉄鋼業の出荷額が愛知県に次いで全国2位だ。官営八幡製鉄所が置かれた福岡県や、日本製鉄とJFEスチールがともに生産拠点を置く千葉県を上回る。大阪府や和歌山県にも製鉄所はある。なぜ兵庫は関西随一の「鉄の県」としての地位を保てているのだろうか。

経済センサス‐活動調査によると、2020年の兵庫の鉄鋼業の製造品出荷額は1兆6733億円で、愛知の2兆1417億円に続く。工業統計調査で1960年まで遡ると、80年代にかけて兵庫は首位だった。80年代後半以降は愛知が1位となっているが、阪神大震災が起きた時期も含めて兵庫は4位以内に入る。

「鉄の県」兵庫の礎を築く役割を果たしたといえる施設の痕跡を神戸市で見つけられる。JR神戸線の灘駅で降り、線路沿いを歩くと「神戸製鋼所発祥の地」の石碑に行き当たる。さらに20分ほど臨海方面へ歩みを進めると、川崎製鉄(現JFEスチール)工場跡の記念碑に着く。

いずれも開業したのは、100年以上前だ。神鋼は海軍、川鉄は造船や鉄道向けの鋼鉄を手がけていた。

戦後、神鋼は兵庫県加古川市に鉄鉱石から鉄をつくるための高炉を建造した。神鋼は現在、加古川製鉄所で2基稼働させている。これ以外に関西で現役の高炉は日鉄関西製鉄所(かつての住友金属工業和歌山製鉄所)の1基のみとなった。

兵庫は、高炉メーカーだけではなく、鉄スクラップを高熱で溶かして鉄を再生する電炉メーカーの存在感が大きいのも特徴だ。共英製鋼の高島秀一郎会長は「高炉からも鉄スクラップはたくさん出てくる。広畑製鉄所(兵庫県姫路市、現日鉄瀬戸内製鉄所広畑地区)の近くで多くの電炉が成長した理由の一つだろう」と説明する。

「広畑製鉄所50年史」によると、砂浜地下の地盤が堅固で、土地の取得も容易だったという理由から、臨海立地型の製鉄所の建設地に選ばれたと説明がある。その広畑製鉄所も生産の革新が進む。

電炉は高炉に比べて生産時に二酸化炭素(CO2)の排出量を抑えられるため、注目されている。日鉄は瀬戸内製鉄所広畑地区に新設した電炉の商業運転を22年10月に開始し、世界初となる電炉一貫での電磁鋼板の製造・供給を可能にしている。

姫路には、鋼鉄にクロムなどを加えた合金を指す特殊鋼の代表的なメーカーがある。山崎豊子氏の小説「華麗なる一族」に登場する「阪神特殊鋼」のモデルとされる山陽特殊製鋼だ。現在は日鉄グループとなっている。

工場を訪ねると、建屋の中は熱風が吹き、じわじわと汗が流れてくる。特殊鋼をつくるために電炉が使われている。太い電極が差し込まれた炉から白い閃光(せんこう)とともに雷のような轟音(ごうおん)が鳴り響いている。鉄スクラップを溶かしているのだ。熱した鉄鍋でぐつぐつと溶かすようなイメージとはまるで違った。

「ここで生産している特殊鋼が自動車部品として広く使われているんですよ」。案内してくれた増田伸也さんから聞いた。

県内を歩いてみると、高炉・電炉の有力メーカーが集積し、多様な鋼材が生産されていると感じられた。関連事業を手がける中小企業も含めて広範なサプライチェーンを形成してきたことが出荷額を押し上げてきたと考えられる。

普段、車や電車、建物に使われる鋼材がどこでつくられているのかを気にすることはなかった。身の回りに兵庫県産の鋼材を使った製品は少なくないのかもしれない。

(青木大吾)

古代でも鉄づくり、歴史長く

兵庫県の鉄づくりは、古代まで遡ることができる。奈良時代初期、播磨国(兵庫県南西部)の伝承や産物を朝廷に報告するために著された「播磨国風土記」には、鉄の産地として現在の兵庫県宍粟市や佐用町が挙げられている。
宍粟でつくられた鉄は、中世末までは主に西へと運搬されていた。平安時代には、日本刀の産地として知られる備前(現在の岡山県)の刀工も、宍粟の鉄を使っていた。近世のはじめに宍粟に鉄問屋が誕生すると、揖保川を高瀬舟で下り、姫路や大阪へと鉄を供給するようになった。
明治時代に入ると、西洋の新しい技術による製鉄が急速に普及していった。それに伴って、宍粟の伝統的な鉄づくりが衰退したが、兵庫での製鉄の歴史はなお続いている。