中国地方山陽地域では、三菱重工業の広島製作所と三原製作所が戦中戦後において多数下請けの指導育成を行い、またそのOBが中小企業に再就職するなどで鋳造業育成・振興では主導的役割を果たした。

地域の前史として、広島県史から三菱重工関係を抜き書きしてみた。
広島県史年表(昭和戦前) 1927 年(昭和 2)~1945 年(昭和 20)
https://www.pref.hiroshima.lg.jp/soshiki_file/monjokan/nenpyou/nenpyou-syouwa1.pdf
 
1939 (昭和 14)
1-10 東洋機械株式会社,安佐郡祇園町に設立(のち三菱重工業広島造船所祇園工場)
 
1940 (昭和 15)
7-18 三菱重工業三原車両製作所,工場建設の地鎮祭執行
11-28 広島県土木部,三菱重工業に広島工業港工場用地への進出を要請。
 
1942(昭和 17)
5-28 三菱糸崎車輛工場沖合海面埋立の漁業権補償金問題,補償金額の査定を県当局に無条
件一任することで解決〔朝日 5.30〕。
12-31 海軍艦政本部,三菱重工業へ広島造船工場新設を示達。
 
1943(昭和 18)
4- 1 三菱重工業三原製作所開所
4-22 三菱重工業広島造船所・広島機械製作所起工
 
1944(昭和 19)
1-18 軍需会社第 1 次指定。三菱重工業・三井造船・日立造船・日本製鋼所・東洋工業・日
本化薬製造など 150 社
3-15 三菱重工業広島造船所・広島機械製作所,独立開所式挙行
 
1945(昭和 20)
10-14 三菱三原車輛で高津正道を招き講演会を開催
11-15 三菱広島造船所・広島機械製作所合併,広島造船所と呼称。三菱第二十製作所,広
島工作機械製作所と改称

 
戦争終結により、両製作所は民需生産に移行した。
 
広島製作所は、製鉄機械用の巨大圧延機のフレーム(ミル)の製造や製鉄所の熱間‣冷間圧延など製鉄工場の建設を行い、日本製鉄業の興隆の礎となった。
戦後製鉄所建設一段落後は、鋳造現場経験者チームにより、全国の中小企業鋳造企業の新工場建設の企画・設計・建設・立ち上げ指導を行ったことは特筆すべきことであった。
 
三原製作所は、車両だけでなく、抄紙機・新聞輪転機・商用印刷機(枚葉機)・段ボール製作機などを生産し多数部品群を地域の鋳造・機械加工の協力工場に生産委託したことにより、広島県・岡山県では鋳造業・機械加工業を行う数多くの中小企業が育成された。
 
三菱三原製作所で協力中小企業の協力会結成発起人となり初代理事長に就任した福山鋳造の小林幾男氏は、その強烈な個性で地域の振興に終生尽力した。
鋳造部門出身者で三原製作所所長となった人もでるなど、鋳造担当者はその幅広い技術知識見識が評価され、人材としても要職に就くことも多かった時代であった。