現代の備後地域の鋳造業は、三菱重工業三原製作所が重要な役割を果たしてきました。
最盛期は、抄紙機・新聞輪転機・枚葉機(ポスタやチラシなどの印刷機)・紙工機械(段ボール製造機)・鉄道の蒸気機関車や車両ブレーキなどを製造し、多くの関連産業を支え、地域の技術と産業の中心のリーダーとなっていました。協力会活動も盛んで、中でも鋳造部会は鉄の結束で総会などの会合後に部会懇親会を行い、経営者が親交を深めておりました。
三原製作所は、その製造に必要な広範な学識と人格が培われたということで日本機械学会賞も受賞された鋳造部門出身の技術者 矢作恭蔵氏 が所長になったことも。鋳造は重工業のスタート部品製造業として花形の時代で、三菱三原製作所鋳鍛課は、地域の鋳造技術指導面でも、三原製作所出身の鋳造技術者が定年後に取引先に移籍し、技術指導に当たるケースも多く、備中・備後・安芸(今の岡山・広島地区)の鋳造業の指導センターの役割を担っていました。
三菱重工三原製作所には、協力会組織があり結成を呼び掛けたのは福山鋳造の小林幾夫社長(当時)で、創設者として長く会長を務め、多数の協力会員が運営組織を作り総会や会社の状況説明会などで年に数回の会合と懇親会で強い結束を誇っていました。
その後、1990年の「日本の失われた30年」と歩調を合わせるように、多くの主要事業から撤退・売却し、現在は製作所は本社所属となり、印刷機事業はM&Aを行い他社ブランドで製造する別会社が残っています。
鋳造部門も廃止されて、主要メンバーは三菱重工が鋳造部門を集約した先へ転勤に。一つの時代の終焉がありました。
まず、2023年現在の、三原製作所のHPをご紹介します。印刷機など紙事業がM&Aで移管され、本社事業として残ってる車両関係だけになりました。
三菱三原事業所概要(2023年8月現在)
三原製作所は1943年に蒸気機関車および鉄道車両用空気ブレーキの専門工場として発足し現在、糸崎工場、古浜工場、和田沖工場の3工場を拠点に活動を展開しています。
豊富な経験に基づいたプロジェクトマネジメントシステム、エンジニアリング力を生かして、交通システムや印刷(輪転機・枚葉機)・紙工機械を国内外に納入してきました。
さらに100パーセント超低床車両LRV(Light Rail Vehicle)、APM(Automated People Mover、全自動無人運転車両)、新幹線用ブレーキ、オフセット枚葉機など、高品質の機械を多く手がけユーザーから高い信頼を得ています。
所在地
以上が現在の内容ですが、最盛期の三原製作所は、地域最大規模の鋳造工場やその加工・製品組み立ての大工場群を擁していました。
当時の姿を知っている方の、鋳造・技術等のエピソードなどの投稿を募集・歓迎します。
私(藤原愼二)が、見聞きした話をいくつかご紹介
1.抄紙機や新聞輪転機など大型プラント製造
抄紙機に使う巨大な円筒形の鋳物を鋳造していた。胴の長さが10mを超すような巨大なもので、縦型で鋳込む巨大な型と枠があった。その後、紙を漉くため細かな穴を加工で開けていたと。
※抄紙機の設備は、巨大プラントです。
ネットで紹介されている抄紙機例
製造原理は和紙の紙すきと同じですが、それを巨大な設備で連続して行い大きな巻き取り紙ロールに作ります。
バンクペーパー | シワシワ通信 – 紙の楽しむWEBマガジン
より一部、三菱製紙の高砂工場の抄紙機の概要を引用紹介
抄紙機は、図にあるように、多数の大きく長い円筒が多数使われ、鋳物で製造されていたそうです。
製鉄所の冷間圧延工場にも比肩できそうな巨大プラントですね。
新聞紙を印刷する輪転機も巨大設備だし、段ボールの製造機械も大型プラントで、枚葉機は紙を多色刷りする高速機械で、揃って紙の幅の円筒の紙送りシリンダーが必要です。
現代の最新型新聞用輪転機の動画紹介「【長崎新聞・ジュニア版メクル】 印刷センターに潜入!(約6分)
https://www.youtube.com/watch?v=J0ScR9Auc7s
輪転機設備例 三菱重工輪転機
枚葉機は、商業用のチラシ印刷やポスターなどを、ロール紙ではなくカット紙で多色刷りで大量に印刷
株式会社 小森コーポレーションから、設備例をご紹介
紙工機械 : 段ボールを製造する機械です。その機械例を三菱重工より引用ご紹介
段ボールは、ロール巻紙の表・中・裏の3つを巻き出し、中紙を折り畳み(Colgate)、接着剤で重ね合わせ、所定の形状にカットし、印刷を加え、重ね合わせた形で排出する機械で、商品を梱包するもっとも代表的な資材です。最近は、段ボール製造会社は受注後3-4日で出荷するなど、超短納期ということで設備信頼性が要求されます。
三菱三原の仕事で、大物の機械加工の技術を磨いて成長した中小企業が、広島県・岡山県には数多くあります。
三菱三原には協力会ができていました。設立呼びかけ人で協力会会長を長年務めたのが、福山鋳造の小林幾男社長。
協力会の組織の中に鋳造部会があり、西日本一円の鋳物経営者が年数回の協力会の総会などの会合や懇親会の後、続けて鋳造部会懇親会で親交を深めておりました。
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(文責:藤原愼二)