鋳造の現場にいると、思いがけないことがよく起こる。
製造基準を守って製造しているはずなのに、なぜか不良が発生し始めて止まらない。
いろいろ対策をしていると、なぜか収束するがそのうちに別の不良が発生し始める。

職場には、伝説的な製造ノウハウがあって守らないと怒られるが、不良はそれと関係があるといわれるがほんとうだろうか?と、ノウハウの逆をいく不良作るテストしてみたが想定の不良は発生しなかった、という事例を聞いたことがある。そのノウハウは特定の条件でだけなりたつものだったのかもしれない。

鋳造そのものは、5000年の歴史があるとも言われ、中国やエジプトなどの古代で生活用品や武具や農機具や貨幣や祭祀用品などが青銅器で作られてきた。型の利用で同じものが多数できたが、一方では失敗作も多く、江戸期の日本では仏像など難しいものは3つ作って一つが良品ならば鋳物屋は街に出かけてどんちゃん騒ぎ(飲み会)ができたと教えられた。それほど、鋳造は難しいもので値段も高価だったということなのだろう。

現代の工業的鋳造業では、自動車生産に代表されるように、高い品質のものを大量に安定して、かつコスト競争に勝てる低コストで生産することが求められる。
そのためには、現場でものと対峙してきた個人の経験と勘の職人技だけではなく、科学に基づいた技術を結び付け、安定した計画的な生産ができることが必要だ。

じゃ、科学とは?

現代は科学がものつくりの世界と直結することですさまじい進歩が始まった。

日本が世界で最高品質の高級鋼とそれを使った刀剣や刃物を作ることができた「たたら製鉄」は、明治維新後に西洋から高炉法が入ってくると量産性やコスト競争に負けて産業としてはあっという間に消滅した。たたらの職人たちが「さぼっていた」わけではなく、西欧の科学を導入した近代製造業に敗北したのだ。

医学でも事情は似たようなもので、病気が悪霊や呪いによると思われ、巫女や坊主の祈祷に頼っていたのは遠い昔ではない。細菌が病気の原因だと判明したのは英国やドイツで顕微鏡で微生物がみつかったのに加えてコレラ発生や、手術での消毒有無での感染症などの疫学研究などからで、わずか100年ほどの歴史でしかない。

現代では、医学は顕微鏡や電子顕微鏡の進歩やペニシリンなど抗菌薬やDNAの発見など多くの機器開発や医学の研究進展で、多くの感染症が治療できるようになった。今では、寿命が長くなったためにガンや生活習慣病や高齢が死因の上位を占めるようになった。

医学の進歩は、顕微鏡や疫学が大きなきっかけとなった。これらなしには進歩はなかっただろう。

このような急速な進歩・進展が実現するようになったのが、西欧に生まれた「科学」を医学や産業に導入したためである。科学にはイデオロギーや民族の違いはないから、北朝鮮でも長距離ミサイルや衛星を開発することができる。日本だけが成果を享受できる、わけにはいかないのだ。

科学とは、それを既存の知識として拝聴することではなく、その研究の方法論と真実に忠実であることを重んずる精神にあるようだ。

1.事物をよく観察し、先人の発見などを学び調べ、比較し異なる部分があったら

2.観察結果を整理しまとめて、新しい法則に見えるものを仮説とし

3.仮説がいつでもだれでもどこでも再現できるかどうかを検証する

4.結果を論文にまとめ発表し、世界の科学者に検証を求める。

5.科学界では、より普遍的な法則の発見目指し、研究を次の段階に進める。

ことにある。ここで重要なのは、事実を見つめる自分の目とデータを信じ、先輩や先人の偉業に盲目的に従うことのない「自立自尊かつ正直を尊ぶ精神」だ。

 

鋳造は、長い歴史がある製造ではあるが、材料成分・温度・製造法・製造条件・製造設備・かかわる人たちなど、関係因子が極めて多く、その現場は常に変化にさらされていて日々実験ともいえる面がある。

ITの進展で、湯流れ解析や凝固解析ができるようになった。それ以前は、溶湯と一緒に型に入って湯流れをみることもできず、できた製品の欠陥を見て原因や湯流れを空想するしかなかったので、大進歩ではあるが残念ながら現実と比較すると不一致は多い。それもそのはずで、初期条件や境界条件は計算の簡単化のために大幅な仮定を設けているのだ。常に原点は現物にありを忘れず、現実との比較評価が必要だと。多様な現実の全ては織り込めていないのだ。

鋳造は、金属を溶解し、凝固するまでに起こるさまざまな現象を利用して、中空など加工ではできない製品を、同じ形で多数量産できる方法だ。原材料・溶解条件・設備・鋳造方法・方案や型とその摩耗など、影響因子は他の分野に比較すると驚くほど多く、不良原因の特定は難しいことも多い。
なのでいろいろな製造業の中でも、極めて難しい分野と言える。環境面では溶解金属の入れ物として砂や耐火物を扱うことから環境維持も大変だ。日本では、それらの難しさなどのゆえにこの20年ほどで、大企業は鋳造業から撤退することが相次いだ。

 

一方で、鋳造でなければ製造できない必須の機械部品は多く、鋳造業は必ず存続することが求められる。これこそ、チャレンジングで、やりがいがある産業の条件で、これを担う私たちは日本のものづくりの基盤産業として世界に向けて、ハイレベル鋳造業を維持発展させようではないか!

藤原愼二