鉄の道文化圏推進協議会製作のHP 出雲の國たたら風土記「鉄の道文化圏」、などを読んだところ、日本にも長い製鉄の歴史があると。
2000年近い日本の製鉄史の中で、製鉄や鋳物に係る神様が信仰され、知り合いの鋳物屋さんがまだお祭り行事をしているよというので、鋳物の神様について少し調べてみました。

島根県安来市には、金屋子神社があります。また全国には金山神社というのもあると。岡山の金川は鉄が取れたという伝説もあり古来地名の金は砂鉄などを指しているのかも。
今もなお、鋳物屋さんの神様として埼玉県では年中行事で5月に金山神社例大祭が行われているとのことです(川口鋳物組合の新聞記事)。

「たたら製鉄」の進歩

日本列島においての人々と鉄との出会いは、弥生時代中期ごろと考えられています。弥生時代中期後半には、鉄素材を輸入に頼りながらも、国内で原始的な鉄器の生産が開始されました

たたら製鉄の総本山「金屋子(かなやご)神社」

 金屋子神(かなやごかみ)信仰は、これを製鉄職関係の神として祀まつった金屋子神社という神社名の他、金山彦(かなやまひこ)、金山(かなやま)、金井(かない)などの神社として全国的に分布しています。中でも、安来市広瀬町の「金屋子神社」は、特にたたらに所縁の深い製鉄神として注目されています。江戸期の天明4年(1784)に伯耆(ほうき:現在の鳥取県西部)の下原(しもはら)重仲(しげなか)によって著された『鉄山必用記事』には、金屋子神の降臨に関して次のような内容が記されています。

「太古のある日、村人が集まって雨乞いをしていたところ、播州穴栗郡岩鍋というところへ神様が舞い降りた。その神託は、これからあらゆる鉄器をつくり五穀豊穣を祈念しよう、というものだった。しかし、そこに神様が住みたもう場でなく、白鷺さぎに乗って西方へと飛び、出雲国能義(のぎ)郡(現在の安来市)の桂の木に舞い降りた。それを見つけた安部正重(金屋子神社の宮司である安部家の祖先)が社を建立し、神を村下としてこの地でたたらを吹いた。そこでは鉄の湧くこと限りなかった」

金屋子神の総本山・金屋子神社(安来市広瀬町)の春と秋の例大祭は、西日本一帯の製鉄、鋳物、鍛冶に関わる人々の篤い信仰によって賑わいをみせます。「日刀保たたら」では、この例大祭の日に同神社までの片道10kmの道のりを素足で参拝する「裸足はだし参り」を、今日も続けています。

以下 島根県観光ガイドより一部引用転載

金屋子神社(かなやごじんじゃ)

島根県安来市の山深くに位置する金屋子神社は、中国地方のみならず全国のたたら製鉄業の神様として信仰され、全国に分社多数と。

 
 
広瀬町の最奥部西比田の重畳たる中国山地の小盆地に鎮座し、広瀬町の中心部から約25km南方にあたる。

当社は数度の火災により、文献その他殆ど焼失してしまったので、その由来などは明らではないが、遠く上古の神話に端を発し、祭神金山彦神(かなやまひこのかみ)、金山姫神(かなやまひめのかみ)のほか15柱を祀り、古来タタラ製鉄七守護神として知られる。

金屋子さんの名のもとにその信仰圏は広く、往時は山陰、山陽および大阪地方における製鉄業者の信仰が厚く、旧藩時代においても代々の藩主は、社殿の造営や祭祀等に奉仕し、多くの寄付をするという慣例があった。
安政5年(1858)の祭礼の日、火災のため宮殿を焼失し、現在の社殿はその後の建立によるものであるが、その造りの壮麗なことは近隣に比類を見ない(県指定文化財)。ことに拝殿内のケヤキの一枚戸の龍の彫刻は荒川亀斉(きさい)の作で、たびたび拝殿をゆさぶったとの言い伝えがある。

金屋子神社は諸国に分祠をつくり、出雲、伯耆、備後、石見にわたって22社を数える。そのほか諸国の鍛冶鋳物師の間でも、その職場には必ず金屋子神を勧請し、本社の祭礼(4月21日)には遠近にかかわらずこの地に足を運んだといわれる。

 

 

金屋子神

Wiki:(かなやごかみ、かなやこかみ、等)とは、中国地方を中心に、鍛冶屋に信仰される神。一般には女神であるとされるが、男神とする説もある。金山彦・金山媛や天目一箇神と同一、もしくは何らかの関係がある神とされるが、全く別神とする説もある。 金屋子神社には神仏習合した火の神として三宝荒神の姿で描かれた掛け軸も残されている。

\鋳物師が崇め敬う金山神社/

栃木県佐野市の街中の住宅街にひっそりとたたずむ金山神社。
鋳物の神様が祭られ、知る人ぞ知る格式の高い神社です。

天明鋳物が最も栄えた江戸時代中期にたてられ、
鋳物業を生業とする人々、つまり鋳物師たちが尊崇する神をカナガミ様と言い、鋳物師や住民から厚い信仰を集めていました。

金山神社の鈴は、天明鋳物になります!

伊斯許理度売命

(いしこりどめのみこと)は日本神話に登場する女神。作鏡連(かがみづくりのむらじら)の祖神、天糠戸(あめのぬかど)の子とされている。『古事記』では伊斯許理度売命、『日本書紀』では石凝姥命または石凝戸邊(いしこりとべ)命と表記されている。

神話での記述
岩戸隠れの際に八咫鏡を作った。ちなみに日前神宮・國懸神宮(和歌山市)には八咫鏡に先立って鋳造された鏡である日像鏡(ひがたのかがみ)・日矛鏡(ひぼこのかがみ)がある。日像鏡は日前神宮の神体、日矛鏡は國懸神宮の神体となっている。

天孫降臨に際して天児屋(あめのこやね)命・太玉(ふとだま)命・天宇受売(あめのうずめ)命・玉祖(たまのおや)命・伊斯許理度売命ら五伴緒神(いつとものおのかみ)が邇邇芸(ににぎ)命に随伴している。

記紀などには天糠戸命の子とある。天糠戸命の出自は記紀などには記されていないが、『大倭神社註進状』の裏書の「鏡作神社三座条」によれば大山祇命の子とされる[6]。佐伯有清は、天糠戸命の父神を神産巣日命と推定している[6]。

解説
神名の名義について、「コリ」を凝固、「ド」を呪的な行為につける接尾語、「メ」を女性と解して、「石を切って鋳型を作り溶鉄を流し固まらせて鏡を鋳造する老女」の意と見る説がある[7]。

鋳物の神・金属加工の神として信仰されている。鞴神社(大阪府大阪市天王寺区)、中山神社(岡山県津山市)、鏡作坐天照御魂神社(奈良県磯城郡)、岩山神社(岡山県新見市)などに祀られる。