2024年4月4日、大和重工株式会社会長・前日本鋳造協会副会長・理事の故田中保昭様のお別れの会が、広島市のリーガロイヤルホテルで盛大に行われました。

写真は大和重工100年記念式典時のものです

<以下は、お別れの会ご挨拶やHPの会社紹介より引用紹介>

<大和重工HPの会社沿革>

 氏は、昭和20年5月16日に生まれ、昭和43年4月に広島銀行に入行、昭和49年に大和重工(株)に入社、昭和58年に代表取締役社長に37歳で就任し傾いた会社を立て直した。平成31年に代表取締役会長に就任し代替わりを成功させた。

 社会貢献では、地元財界活動に加えて昭和58年に社団法人日本強靭鋳鉄協会理事、平成17年に社団法人日本鋳造協会副会長・理事に就任し、総務部会長を務めた。平成20年には副会長・国際部会長、平成26年には一般社団法人日本鋳造協会の副会長・総務部会長と、鋳造協会の重要役員を歴任されました。

 地元広島でも、法人会・サッカー協会・ロータリークラブ・日本鋳造工学会中国四国支部などの役員や会長などを歴任し、地域のリーダーでもありました。これらの功績により藍綬褒章・旭日小綬章(産業振興功績)、正6位受章を受賞されています。

故人の多大なご貢献に感謝し、謹んでご冥福をお祈りします。

 

以下に、お別れの会のお礼の挨拶文をご紹介します。

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御礼

本日はご多用にもかかわらず、弊社前会長 田中保昭の「お別れの会」にご参会賜りまして誠にありがとうございました。

故人は昭和49年大和重工に入社いたしました。昭和58年には当時としては上場企業の中でも異例の37歳の若さで社長に就任。「有言実行」「強い思いは必ず叶う」を信条として危機に瀕した業績の改善に取組み、単年度で回復させ就任4年目には累積赤字を解消させました。手腕が評価されたのは当然ですが、そこには故人の温情に報いようと多くの社員たちの必至の協力があったに違いありません。常に陣頭に立ち、品質の向上と信頼の確保という商いの常道を貫き、門外漢だとは言いながら営業から工場への苦言や指摘は鋭いものでした。その昔、不眠不休で炎と格闘しながら鉄を作り続けた職人たちの技と魂を源流として、天保2年に創業した弊社の鋳物づくりに自信と情熱と誇りをもっており、更にどこよりも良い鋳物づくりを目指す故の指摘でした。家業である広島運輸も今年で創業130年を迎えました。

更なる将来の展望も描いておりましたが、全て道半ばとなってしまったことは個人も残念に思っていることと思います。多難な時期だけに失ったものは大きい。しかし故人が残してくれた功績をしっかり受け継ぎ私たちは未来へ向けて歩み、ものづくり・物流・サービスを通して社会貢献に努めてまいります。

ここに生前に皆様から賜りましたご厚誼、ご高配に心より感謝申し上げ、ご参会のお礼とさせていただきます。

令和6年4月4日
大和重工株式会社
広島運輸株式会社
代表取締役社長 田中宏典