NHKのブラタモリで、栃木県佐野市の天明鋳物・茶釜が紹介されました。

そこで1000年の歴史をもつという天明鋳物、そこで茶釜などを鋳造する若林鋳造所のHPを一部ご紹介。
https://w-tenmyo.jp/casting/index.html

天命釜・天明鋳物

TENMYOU KETTLE & CASTING

一千余年のこころ 今に受け継ぐ
天明鋳物の起こり

歴史に登場した
天命釜

織田信長

「天猫 姥口釜」を所持しており、後に家臣の柴田勝家が拝領した。(藤田美術館蔵)
また「古天明 平蜘蛛釜」と最期を共にした松永久秀との逸話はよく取り沙汰される。一方当時の茶会記に久秀がその平蜘蛛釜で客人をもてなしたとの記述もある。

豊臣秀吉

天命釜の代表的な形の一つである「責紐釜」を所持。天正十五年正月大阪城内での茶席で使用された他、数多くの茶席で使われたとある。
「責紐釜」は貴人に茶を献ずるとき、蓋を紐で封印し毒物などの混入を防ぐため口際に鐶付がある。

徳川家康

「古天明釜 銘 梶」を所持。以前は大名茶人である古田織部が所持した。後に織部から家康に渡り尾張家初代義直へと伝来した。(徳川美術館蔵)

千利休

利休が好んだ「万代屋釜」は古天命釜を元に釜師の与次郎に作らせたといわれる。
また利休が秀吉の茶堂を初めて務めた天正十一年近江坂本城での茶会記に「責紐釜」をみる。

 

下野国天命(栃木県佐野市)でつくられた鋳物作品。 天慶二年(九三九年)平将門の乱を治めるため藤原秀郷公は武具制作のため河内の国(大阪府南東部)から五人の鋳物師(いものし)を長とする集団を佐野の地に住まわせたことが起源として伝承されている。

 

こしきとは、キュポラの前身の鉄材料を木炭で溶解する設備です。

写真に見る鋳造で働く人たちの写真では、足元にも注目を。
下駄や雪駄や足袋を履いてるのは、製鉄会社でも話を聞いたことがあります。
溶けた鉄の湯がこぼれて足に落ちても、下駄や足袋ではすぐにこぼれ落ちて大やけどにはならない。
編み上げ靴だと、靴に入り込んだ湯は靴を脱ぐまでに大やけどになってしまうのだと。

 

番組では、佐野市がドロマイトの日本最大の産地だと。

ドロマイト:鉄を代表とする金属製錬プロセスにおいて、石灰製品と同様に使用することにより、耐火物(内張レンガ)から溶融金属へのMg分の溶出を防ぎ、耐火物の耐久寿命を延ばすことができます。

 

佐野市には、鋳物師の信仰を集める金山神社も。
https://www.tochinavi.net/spot/home/?id=19763