神尾彰彦さん(72歳)東京工業大学名誉教授
第83巻(2011)第9号
溶けた金属を初めて目にした時の
たとえがたい美しさは忘れない.
大勢の若者に
鋳造,材料の楽しさを知ってもらいたい
<プロフィール>
- 氏 名: 神尾彰彦さん(72歳)東京工業大学名誉教授
- 出身地: 東京都
- 略 歴: 1969年3月早稲田大学大学院博士課程修了,同4月東京工業大学工学部,2000年4月東京工業大学名誉教授,2001年4月早稲田大学理工学部非常勤講師,2010年3月退職.
Q 神尾先生と鋳物との出会いはどのような形だったのでしょうか.
A 私は東京の下町で生まれ育ちましたので,周辺には金属系の小さな工場や商店がたくさんあり,子供の頃から当たり前のように金属に親しんでいました.硬い金属の棒がボルトやナットになったり,プレスや鍛造で製品になっていったりする過程を日常的に目にしており,あまり悩まずに金属の道に進んだのです.機械科にも興味があったのですが,機械で変形し,成形される材料そのものがおもしろかったので材料を研究することにしました.
当時は金属といえば鉄という時代でしたが,大学4年生になって卒業研究の研究室を選ぶとき,敢えて非鉄をやってみようと思い,唯一非鉄金属を扱っていた雄谷研究室でお世話になることになりました.そしてそこで初めて金属を溶かして型に入れる“鋳造”を目にし,私の一生の仕事になる凝固組織とかかわり始めたのです.
研究室で初めて鋳造したのは銅合金でした.銅は溶けると表面に酸化被膜ができます.そこへ先輩が何かをぽつんと入れたんですね.すると,パーっと広がるように,表面が鏡のようにきれいになったんです.非常にびっくりして「先輩,なにをしたんですか!」と聞きました.今でこそ入れたのは“りん”だとすぐにわかりますが,初めて目にしたときの驚きと溶けた金属の美しさは忘れません.
Q 神尾先生は日本鋳造工学会で,副会長,会長も経験されていますが,思い出に残っているエピソードはありますか.
A いろいろとありますが,いちばん思い出に残っているのは,学会が名称変更したときのことです.平成7年から現在の「日本鋳造工学会」という名称になっていますが,それまでは「日本鋳物協会」という名称で活動していました.昭和3年,日本鉄鋼協会鋳物部会で鋳物に関する独立した組織を作る要望が出され,その流れを汲んで「協会」という言葉が使われていたのです.しかし大学の場合,論文を書いても団体名に「学会」がつかないと学術団体ではないと思われてしまい,なかなか正しく評価されないというもどかしさがありました.そこで当時副会長だった近畿大学の中村幸吉先生や企画委員長だった北大の野口徹先生が中心になって,名称に「学会」をつけよう,ということになったんです.ところが,これが大反対にあいました.「由緒正しき名称を変更し,学会などとつけては,小難しいことを並べた研究論文ばかりで,企業の現場の会員に役立たないイメージになってしまう.もともと文部省から認可された学術団体ということは間違いないのだから,わざわざ敬遠されるような名称に変更することはない」というのが多数の意見でした.しかし大学で評価されなければ学術団体としての評価も上がりません.会員全員にアンケートをとったり,全国講演大会の折にディスカッションをしたり,何年にもわたって議論し,企業を回って説得をし,最終的には総会での採決になりました.その総会の席に,私は副会長として出席しました.会長はこれまで中心になって進めてこられた中村先生です.結果は賛成多数で,正式に「日本鋳造工学会」への名称変更が認められました.このとき中村先生と握手を交わした時の気持ちは今も思い出されます.それを機に会誌も『鋳物』から『鋳造工学』になりましたが,これまでよりもっと積極的に企業の現場に役に立つ記事を取り上げていこうということになり,論文だけでなく,技術報告や現場技術改善事例など,企業の人が親しみやすい記事を多く掲載するように心がけて編集するようになりました.
Q では,これから鋳造界で活躍しようとする若い人たちへのメッセージをお願いします.
A 鋳造のどのような分野でもよいので,自分がやっていることに興味を持ち,夢を持って取り組んでほしいと思います.そのためには,充実した気力,そして努力と我慢が必要です.成功とは結果だけではなく,それに費やした努力もあわせてはかるものだと思います.努力には我慢を伴いますが,周りの人もちゃんと見てくれていますし,努力を惜しまなければ必ず成果に結びつくものです.諦めないで努力を重ねていってほしいです.
最近は金属工学系の学科が減ってきていますね.中学校や高校ではあまり金属材料のことは勉強しないし,理科の先生ですらよくご存じない方が多いですから,なじみがないのでしょう.でも,身近にある電気機器も半導体機器も,すばらしい材料を提供するからあれだけの機能を持った製品が作れるわけです.だから本当は,日本の各地に金属を主体とした材料工学科を持つ大学があってほしいと思っています.そして,物理,化学,数学などの基礎を十分に勉強してから実際の材料を作るプロセスを学べるような学科がもっと増えてくれることを願っています.それは私の夢でもあるし,今も一生懸命取り組んでいるところです.ぜひ若い人たちに鋳造,材料の実験・研究の楽しさをもっと知ってもらって,積極的にかかわってもらいたいと思っています.
私はこれからも新製品の開発,新市場の開拓,新事業の構築に取り組んでいきます.若い人たちにも「テストに失敗はない」の精神で,新技術・新製品の開発に挑戦してほしいですね.
<コラム> 神尾先生に5つの質問!
Q1 ご自身の性格を一言で言うと?
Q2 こころがけていることは?
Q3 仕事のパートナーに選ぶとしたらどんな人物?
Q4 今,いちばんほしいものは?
Q5 座右の銘はなんですか? |
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