実家に鋳物師職の許可書があり,今までの軌跡を記録に残そうとルーツや歴史を調べています.しかし,この許可書の意味がよくわかりません.どういうものでしょうか.

明治時代の初めまで「鋳物師職許状」というものがありました.これについては多くの方々の研究記事と歴史記念館に残された古文書を見ることができます.本会の鋳物の科学技術史研究部会編「鋳物の技術史」(1997年3月発行)にも記述があります.

 鋳物が普及し,技術も定着するにつれて,独占的に製造し販売する権利を得て,他のものの参入を制限しようとする動きがでてくるのは鋳物だけでなく,その他の職業においても自然の流れであったようです.特権を与えることは古くから行われていたようですが,鋳物においては,京都の公家で古くから鋳物師との間で特別な関係があった真継家の17代久直が朝廷の権威を背景に16世紀の中頃に鋳物師の全国組織の構築をてがけ,鋳物師支配のしくみづくりに動きました.17世紀の終わりごろには24代珍弘は「鋳物師職許状」の発給などで鋳物師支配の拡大を進めました.徳川家などでは「朱印状」を授与したりして特権を与えていたようで,幕府の影響力が強かった江戸,京都,大阪では真継家の「職許状」などによるしくみに賛同する鋳物師ばかりではなかったようで,はじめは地方の鋳物師に限られていたようです.鋳物消費の拡大に伴い,鋳物師も増え,市場をめぐる争論も発生すると,朝廷の後ろ盾による特権を持つ鋳物師にとって営業権を保証されることは有利であったことから真継家の支配下に属すようになり,徐々に拡大されてきたようで,各地に「鋳物師職許状」が残されています.石川,富山,新潟,群馬,千葉などの歴史資料館などで見られ,また,研究記事も多く発表されているようです.鋳物業に古くから携わってきた鋳造企業にはこの職許状が残されている企業もあります.跡目を継ぐと新たに発給を受けていたようで,新規に発給されると前の許状は返納されていたとのことで,各地の鋳物師も多かったようですが,現存するものがその割に少ないのはそのためのように思われます.

 鋳物師代替わりの際に発給された許状には「当該鋳物師がその職を先代から引き継がれていること.組織されている座の規則を守るべきこと」などが記載された短文のもので,鋳物師からの申請によって,真継家代々の当主よりその鋳物師に与えられていました.初期のものは別として残されている職許状はほぼ同内容の文面で真継家朱方印と当主の署名花押により作成されています.

 「職許状」を得ている者は当時としてはかなりの冥加金を真継家に納める必要があったようで,得られた鋳物師は限られていたようです.幕府はこのしくみを認めていなかったようで,鋳物師には真継家の配下のグループ,江戸,京都など真継家と関係を持たなかったグループ,真継鋳物師配下にありながら登録されていなかった者,その他のグループがあったようです.明治維新となり,明治政府がこのしくみを認めなかったことから,まもなく発給されなくなり,真継家およそ300年の鋳物師支配は終わりを告げ,それ以降,鋳物師職許状は姿を消しているとのことです.

(『鋳造工学』90巻10号掲載)