第95巻シリーズ「鋳物歳時記2」
第95巻の表紙は,季節ごとの鋳物のある風景をお届けします.
*No.1,No.2は前年度のCastings of the Year受賞作品を紹介します
Vol. 95 No. 1「Stylish BRONZE Dunbell「環-kan」」
令和4年度Castings of the Year賞受賞作
株式会社明石合銅
金澤唐金
Vol. 95 No. 2「アルミキャスティングパネル」
令和4年度Castings of the Year賞受賞作
株式会社田島軽金属
株式会社ヤマトインテック
有限会社弘中鋳造
株式会社飯田合金鋳造所
東金属産業株式会社
Vol. 95 No. 3「釣釜」
茶室でお茶を楽しむ際,冬の間は畳の下に備え付けられている「炉」を使ってお湯を沸かします.夏になると,今度は炉に蓋をして,小型の「風炉」と呼ばれる道具を使って湯を沸かします.
炉を使う冬の間は五徳を使って湯を沸かしますが,暖かくなり始めた3月になると,茶釜を上から吊るして釜を火から遠ざけます.これが「釣釜」です.ゆらゆらと揺れる釣釜は風情がありますが,慣れるまではお湯を汲むのが難しいそうです.
お茶の道具は鋳物がたくさん使われています.今月の表紙写真にも,いくつもの鋳物の道具が写っていますね.
Vol. 95 No. 4「花まつり」
日本の寺院や仏教系の学校では,毎年4月8日に花まつりが行われます.花まつりとは,お釈迦様の誕生日を祝う仏教行事で,正式名称は,灌仏会(かんぶつえ)と言います.この日のために作られた花御堂(はなみどう)に右手で天を指し左手で大地を指した誕生時のお釈迦様をかたどった誕生仏(写真)を安置します.参拝者が誕生仏に甘茶をかけて,身体を洗い清め,子供の身体健全や諸願の成就を願います.誕生仏の多くは,銅鋳物で作られています.
表紙の写真は,浅草の浅草寺の花まつりです.
Vol. 95 No. 5「富岡製糸場の自動繰糸機」
桑の葉の収穫が始まる5月は養蚕が始まる季節です.宮内庁の紅葉山御養蚕所では毎年5月に「給桑」と呼ばれる,蚕に桑の葉を与える行事が行われます.
さて絹糸の生産といえば2014年に世界遺産に登録された富岡製糸場が有名です.1872(明治5)年に明治政府が日本の近代化の資金調達に必要な生糸を生産するために設立しました.表紙の写真は繰糸所(下の写真)の内部に据え付けられた自動繰糸機で,たくさんの鋳物部品が使われています.この装置は,煮繭から糸を繰って生糸にして巻き取るところまでを一貫して行う複雑な機械で,繰糸作業者は機械の故障に対応するための技術も身に着けていました.大きな工場内部にびっしりと,ずらりと並ぶ自動繰糸機は当時世界最大級.明治維新を経て近代化へ向かう日本の勢いを感じさせます.
Vol. 95 No. 6「田植え」
毎年6月は梅雨に入り,鬱陶しい季節となります.毎日,雨が続きますから,生活するにはいろいろ不都合なことがありますが,農家にとっては重要な季節です.日本人の主食である米を作るためには,無くてはならない季節です.
農業の世界も,ずいぶん前から機械化が進んできています.表紙の写真は,田植え機です.農業用の機械もいろいろな種類がありますが,内燃機関を使用しているものが多く,いろいろな部品に鋳造品が用いられています.このようなところでも,鋳物は人の生活を支えています.今はまだ,人が機械を動かしていますが,無人で田植えができる機械の登場ももうすぐかもしれません.
Vol. 95 No. 7「蚊遣り器」
そろそろ梅雨明けが待ち遠しい季節になってきました.晴れた日に,縁側で涼みながら西瓜を食べたりするのも,夏の風物詩です.涼しくて気持ちいいなと思っているところに,耳元でブゥーンという羽音が聞こえるとビクッとします.蚊です.
最近は,電気蚊取りやスプレーが増えてきましたが,夏の縁側には,昔ながらの蚊取り線香が似合います.表紙の写真は,三重県桑名の鋳物の蚊遣り器です.桑名の鋳物は,江戸時代に徳川家康の家臣,本多忠勝公が桑名藩主となり,鉄砲の製造を始めたのが起源といわれています.蚊遣り器の図柄には,夏らしい花火や朝顔などの模様が描かれています.
Vol. 95 No. 8「中元万燈籠」
奈良の春日大社には,石燈籠約2000基,釣燈籠約1000基の合計約3000基の燈籠があります.平安末期より今日に至るまで,春日の神を崇敬する人々から,家内安全,商売繁盛,武運長久,先祖の冥福向上などの願いを込めて寄進されたものです.釣燈籠は,銅合金でできており,鋳物もたくさん使われています.中元の8月14日と15日の夜に,約3000基の燈籠全てに火を灯し,人々の諸願成就を祈願します.
昔は,燈籠奉納と共に納められた油の続く限り毎夜灯されていたようですが,明治時代に一時中断し,その後,節分の夜の節分万燈籠と中元万燈籠が復活して今に至ります.中元の夜,静かに灯る燈籠を見ながら,諸願成就を祈願するのもいいものです.
Vol. 95 No. 9「奥能登塩田村の塩釜」
能登半島の先端に位置する珠洲市には,揚げ浜塩田が残っています.「揚げ浜式製塩」は,400年以上の歴史を持つ能登の伝統文化です.塩づくりの季節は,4月から9月.汲み揚げた海水を砂浜の塩田に何度もまき,太陽と風の力で蒸発させます.そうして塩分濃度を上げた海水(かん水)を釜で炊いて水分を蒸発させ,塩を作ります.6時間の荒焚きと16時間の本焚きで塩になります.
塩釜は,厚さ1~1.5cm,直径2m,深さ30cmの平底の鉄鋳物です.江戸時代中期までは奥能登の穴水町中居の鋳物師が作っていました.その後は,富山県高岡市で生産されたものを使用しています.約600リットルのかん水から120kgの塩ができます.揚げ浜式製塩で作った塩は,塩辛さが柔らかく,豊かな海を感じる甘さのある旨みが口の中に広がります.
Vol. 95 No. 10「出雲大社の銅鳥居」
旧暦10月は「神無月」ですが,全国の神様が出雲に集まってこられるので,出雲地方では「神在月」と呼びます.旧暦10月10日から17日まで,出雲大社では全国から神々をお迎えして,神迎神事,神在祭などが行われます.
表紙の写真は,出雲大社の4本目の鳥居である「銅鳥居」です.銅製の鳥居としては,日本における最古の鳥居で,寛文7年(1667年)に行われた出雲大社の寛文の大造営に合わせて,寛文6年(1666年)に,それまでの木造の鳥居を青銅の鳥居に造り替えたものです.
鳥居には銘文が刻まれており,「素戔嗚尊者雲陽大社神也」と刻まれているそうです.この鳥居が奉納された当時は,御祭神が「すさのおのみこと」だったということで,その後,「大国主大神」に戻ったそうです.
この鳥居は,平成16年(2004年)7月16日に重要文化財に指定されました.
Vol. 95 No. 11「宝神社の金属塊」
和歌山県御坊市湯川町大字財部は昔から鋳造地帯として知られ,奈良時代の古文書にも「賽銭を造る鋳造司」をおいたという記録もあり,この地が財部と呼ばれ,鎮座する神社を宝神社として尊崇されてきました.「続日本紀」によると大宝3(703)年,この地方から平城京に銀を献上されたことが書かれていますが,出所が不明だった採取場所が「熊野地方・楊枝」だということが近年わかってきました.船で銀を運び,陸上げしてこの地で精錬し,平城京へ運んだのではないかといわれています.また,近くの水田から製鉄用冷却水槽が,財部地内に堅田遺跡が発見されています.
表紙の写真は,鋳造の過程でできた残留物の塊で,約700年以上前のものと推測されています.宝神社は,財宝や金運を呼ぶことで知られるパワースポットで,11月3日には,祭礼が催されます.
Vol. 95 No. 12「ストーブ列車」
北の国からは,雪の便りが届く季節になってきました.寒くなるとなかなか外に出たくなくなりますが,冬ならではの楽しみもあります.青森県の津軽鉄道では,12月1日から3月31日まで,ストーブ列車を運行しています.客車にダルマストーブを付けて,暖をとり,車窓から時には地吹雪となる雪景色を眺めるノスタルジックな列車です.ストーブで,スルメイカをあぶり,熱燗を一杯というのもオツなものです.
津軽鉄道は,昭和5年7月15日に五所川原から金木間が開業し,同年11月13日に五所川原と津軽中里の前線が開業しました.この冬の12月からストーブ列車を運行しています.戦時中は,物資欠乏のために中止しましたが,昭和22年から再び運航しており,現在の客車は4代目だということです.