小林 武さん(72歳)関西大学名誉教授

第84巻(2012)第4号

「“人にものを教える”という仕事に,
私は割と向いていると思っています.
徹底して調べて教えると
相手もしっかり覚えてくれるし
反響があるんです」

<プロフィール>

  • 氏 名: 小林 武さん(72歳)関西大学名誉教授
  • 出身地: 新潟県
  • 略 歴: 1958年新潟県立新井高校工業科学課程卒業,63年関西大学工学部卒業,68年3月関西大学大学院工学研究科博士課程単位取得,10月同大学助手,77年専任講師,81年3月博士号取得,84年4月同大学助教授,95年同教授,2011年3月名誉教授

 

Q 小林先生と関西大学の出会い,そして鋳物とのかかわりはどんなことだったのでしょうか.

A 私の育った新潟県新井市(現:妙高市)には,日本ステンレス,日本曹達といった大きな会社があり,その関係で,地元の新井高校には工業科が設置されていました.私はその工業科学課程を卒業し,特殊鋼を扱っている会社に就職して「さあ社長になってやるぞ」と意気込んでいたのです.ところが,出勤初日に総務課の人が来て会社の説明をするのを聞いて愕然としました.高卒の私の給料が1カ月6500円なのに対し,大卒で入った同期の社員の給料は1万3700円.倍以上違うのです.これではいくらがんばったところで到底追いつけません.そう思うといたたまれなくなり,入社3日目に総務課長のところへ行って「辞めます」と告げました.突然の退社宣言に課長はぽかんとしていましたが,私の心はすっかり決まっており,1週間後には大学進学を目指して大阪へ発ってしまったんです.

大阪で予備校に通いながら,私は初めて大学とはどんなところかを学びました.高校時代から有機化学は大の苦手でしたので,無機を学びたいと思い,自分なりにいろいろ調べていくと,金属工学と窯業の科を見つけました.私は金属工学を選ぶことにし,関西大学工学部の金属工学科に入学しました.これが,その後ずっと過ごすことになる関西大学,そして金属工学との出会いです.

大学3年のとき,大学内で日本鋳物協会(現:日本鋳造工学会)の全国大会が開催されました.展示会をやっていたので覗くと,そこにシェル鋳型が置いてあったのです.当時はそれが何かわからずに,こんがり焼けてきれいでおいしそうなものだなと思って「これはなんですか?」と尋ねると,水道の蛇口の鋳型で,フェノール樹脂でできているという答えでした.有機は苦手でしたが高校時代にしっかり教わっていたのでそれがどういうものか,すぐにわかり,苦手だけどわかるのだからこれはおもしろいと,4年生になったら鋳造関係を研究してみようと思ったのです.それが,鋳造との出会いです.4年生になって鋳造の研究室に入り,日本で二台目となる高温硬度計を購入してもらって,鋳鉄材料の高温特性の研究をやりました.私は今でこそ銅合金を主に扱っていますが,それは実はこの12年ほどで,それまではずっと鋳鉄を研究していたのです.修士論文のテーマは高温特性,ドクターのテーマは鋳放しでフェライト系鋳鉄を作るというものでした.

Q 大学で印象に残っている出来事や研究はどんなものがありますか.

A 学生実験で,上皿天秤を使って鋳鉄の試料の重さを量ったときのことですが,分銅がいくつか紛失してしまっており,300gを量るのに片側に500gの分銅を乗せ,反対側に200gの分銅と試料を乗せて量りました.そうしたら学生が200gの分銅を試料と一緒に溶解してしまったのです.ところが銅が入ったことで面白い結果が出ました.それをきっかけに鋳鉄に対する銅の研究も手がけ,銅はおもしろいと銅マンガン合金の研究もし,私の最初の特許を取得するに至りました.学生のうっかりミスがきっかけで特許にいたるのは,大学ならではのことで,面白いですね.

私は人のやらないことが大好きで,鉛フリー青銅にビスマスを入れないでやろうと思ったのもその一つです.いくつか特許も取りましたし,研究が世間で知られるようになってあちこちの企業や研究機関から依頼や相談が入るようになり,深夜12時にアメリカから国際電話が入って協力を要請されたこともありました.

一方で,私は小学校に入学してからずっと教育機関にいましたので,学校しか知らないのです.だからある点では大変世間知らずです.助手や専任講師の時代にはそれで悩んだこともありましたが,でもそこは割り切って走るしかないと思うようになりました.「人にものを教える」という仕事に,私は割と向いていると思っています.若い頃は研究さえできればよいと思っていましたが,年を経ると考えも変化してきて,「中途半端なことは言えない」と思うようになりました.徹底して調べて教えると,相手もしっかり覚えてくれるし反響があるんです.そこが面白くて,やりがいを感じるところです.

Q 小林先生は「鋳造カレッジ」の名付け親ということですが.

A そうなんです.平成17年から鋳造協会と合同で開催している鋳造カレッジですが,会議でなかなか名称が決まらなくて.いい名前が出ないので,時間をおいてまた話し合いましょうということになったときに,私が言った「鋳造カレッジ」という名称に皆さんしっくりきたようで,そこで決まったんですよ.

鋳造カレッジは日本鋳造工学会のメンバーが講師をしていますが,講師も最近はずいぶん高齢化してきており,次の講師養成が急務です.いくら専門の知識があっても,講義となるとまた違い,自分の研究分野以外のことも知っていなくてはできないので,誰でもすぐに講師になれるわけではないんです.だから講師を養成するような機関が必要だと思っています.視野を広めた人材を養成し,これからの鋳造業界を担う人材を育成する鋳造カレッジを支えていってほしいと思っています.

 

<コラム> 小林先生に5つの質問!

 

Q1 子供の頃の「将来の夢」は?
A  技術屋”になること

 

Q2 自分の性格を一言で言うと?
A  ガンコでやさしい

 

Q3 鋳造以外で就いてみたい職業は?
A  林業

 

Q4 仕事のパートナーに選ぶとしたらどんな人物?
A  コツコツ仕事を行う人

 

Q5 今,いちばんほしいものは?
A 研究の場とチャンス