伊藤光男さん(62歳) 伊藤鉄工株式会社

第85巻(2013)第2号

「キューポラのある街」川口の
職人の技はすばらしい.
でもそれだけに頼っていては
新しいものはできない.
科学と実践とは
やはり両輪であるのだ.

<プロフィール>

  • 氏 名: 伊藤光男さん(62歳) 伊藤鉄工株式会社
  • 出身地: 埼玉県
  • 略 歴: 1973年3月早稲田大学理工学部機械工学科卒業.75年3月同大学大学院資源及び金属工学専攻修士課程修了,同4月伊藤鉄工㈱入社.平成3年8月社長就任,現在に至る.

Q 伊藤さんは80年以上の歴史を持つ伊藤鉄工㈱三代目の社長ということですね.

A そうです.もともと曽祖父が鋳物屋をやっていたのですが,私の祖父が独立して伊藤鉄工を作りました.その後私の父が社長となり,そして平成3年からは私が継いでいます.物心つく前から工場に遊びに来ていたので鋳物屋というのがどういうものか雰囲気的にわかっていましたが,子どもの頃は歴史が大好きで,歴史で生活したいという夢を持ったこともありました.でも中学3年生の夏休みに父に言われて工場の簡単な仕事を手伝ったころから,鋳物って変化があっておもしろい,まあ自分の家が鋳物屋だしやるか,と思うようになっていきました.大学は金属工学だけでなく機械工学全般を知っていたほうがよいという父のアドバイスで機械工学科を選びましたが,大学院では堤信久先生の研究室でVプロセスの研究をしました.そうして修士課程修了後の春,伊藤鉄工㈱に入社したのです.

 

Q  お仕事で思い出に残っているエピソードにはどんなものがありますか.

A 私が入社した昭和50年頃,川口は映画『キューポラのある街』そのものの雰囲気が残っていました.当時は皆貧乏で,川口市史にも刻まれているような大きな争議も何度もあったような時代でした.職人は出来高制で,すごい人だと月給50万円という人もいました.その代わり朝の3時くらいから来て型込めしたりして,時給で働いている人とは働き方そのものが違っていましたね.例えば突き棒ひとつの扱い方でも,職人は必ず置き場所を決めているんです.いつでもすぐに手に取って作業ができるようにしているんですね.ところが時給仕事の人たちは,使った後適当に転がしているものだから,次に使うときにそれを拾いに行かなければいけない.ちょっとしたことのようですが,そういうこと一つひとつが違うのです.しかしそうはいってもいつまでも職人技に頼った鋳物づくりではいけない,だれでもできるようにしなければと,私が入社したころから作業を自動化することを検討し始めていました.当時フランが出始めで,うちの会社でマンホールの鋳造にフランを使おうという話が出たんです.そしてその段取りを私が担当することになりました.フラン砂の強度を調べたり,縦込めでやるから湯の荒れの対策をしたり…….その中で,マンホール枠の真ん中の部分がもったいないので,小さなマンホール蓋を一緒に鋳造したらどうかと考え,いろいろ実験をしていたのですが,そのとき職人に「そんなもの,できねえんだよ」と言われたんです.でも結局,いろいろ工夫したらできた.それまで職人が馴染んできた生砂の感覚ではできなかったと思いますが,プロセスを変えるとまた考え方を変えないといけないんですね.経験と勘によって培われた職人技は確かにすばらしいのですが,それだけではだめで,科学と実践とはやはり両輪であるのだなと,そのときに強烈に思いました.

 自動造型機を入れて間もなく,父が「お前の入れた機械は何秒で動くんだ」と聞きました.1分で動く自動造型機だったので,「あれは50~60秒で動く機械です」と答えると,「計ったのか」と.そこで計ってみると,実際には1分では動いていなかったんですね.作業者が慣れていないので湯入れの時間が結構かかっていたんです.実は父は社長室の窓からその様子を見てわかっていて,敢えて私にそう質問していたのです.またあるときは私が設計したものの能書きを言うと,「じゃあ自分でやってみたのか」と言うわけですよ.それでやってみたら実はできなかったとか.私は3現主義を大切にしていますが,そこには父に教えられたことが大きく影響しています.現場があって,現物があって,そして現実を捉えることが,ものづくりではまず大切なんですね.

 

Q 平成3年に社長になられ,今度は経営者という立場になりましたが,この20年あまりを振り返っていかがでしょうか.

A 私が社長になってからは,とにかく市場の縮小に頭を悩ませ続けです.私たちがマーケットとしている土木建築業界は平成4,5年にはピークで85兆の規模でしたが,去年は約42兆.20年で半分になっているのです.私の会社はまだよい方ですが,それでも売り上げは6割程度に落ち込みました.しかし経営者としてリストラして人を減らすことはしたくないので,売り上げが落ち込んでいる中でも若い人を積極的に採用するようにしました.だから私の鋳造工場は今も平均年齢が若く,活気がありますよ.

 経営って,考え方一つだと思うのです.売り上げがあるほうがもちろん楽ですが,売り上げが下がればそれなりに利益が出るような体制にすればいいだけの話なんですよ.でも,人間は欲があるから,小さくなるとなんとかして元に戻そうとして,あれこれ手を出してしまう.私も本業の売り上げが落ち込むのを埋めようと他のものもやりましたが,5年ほど前に思い切って赤字部門を全部やめたんです.そしたら途端に楽になりました.本当にお客様が欲しがっているものをきちんと作っていかないと結果的にみんなが困ります.ものづくりは現場が大事ですが,経営者にとってはマーケットも現場と同じで,自分の目で見て,データを集めて見極める.また,お客様のところでどういう動きがあるのかも自分で確かめる.そういうことが大切なんですね.こんな時代に社長をしているからこそ,わかったことかもしれません.

 

 

伊藤さんに5つの質問!

 

Q1 座右の銘は?
A  「人生の大病は傲の字」(伝習録)「過ちて則ち改むるに憚るなかれ」(論語,学而)

 

Q2 趣味は?
A  読書(歴史,経済,科学等).月に5~6冊は読む.

 

Q3 伊藤さんにとって「鋳物」とは?
A  仕事の糧

 

Q4 夢は?
A 私のいる業界でNo.1になること.

 

Q5 これから鋳造を極める若い人へ贈る言葉は?
A 「3現主義」と「継続は力なり」