木挽謙治さん(56歳) ㈱クボタ

第85巻(2013)第8号

高校のOBに「クボタに入れ」と言われ
「はい!」と即答.
製品はずいぶん不良にしたけれど
人間として不良になることがなかったのは
尊敬できる人たちとの出会いが
あったからこそ.

<プロフィール>

  • 氏 名: 木挽謙治さん(56歳) ㈱クボタ
  • 出身地: 兵庫県
  • 略 歴: 1975年3月,大阪市立都島工業高校卒業,同4月,久保田鉄工㈱(現:㈱クボタ)入社.82年3月,鉄工短期大学卒業.2004年10月,恩加島工場副工場長,10年4月,素形材事業部素形材事業ユニット鋳鋼製造部長,12年10月,素形材事業部素形材事業ユニット素形材製造第一部長兼素形材製造第二部長,現在に至る

Q 木挽さんは高校を卒業してすぐクボタに就職されたのですか.

A そうです.でも実は最初からクボタを志望していたのではないんですよ.私は中学時代から剣道を続けており,剣道の強い会社や府警などから声をかけてもらったりもしていました.でも,指導に来ていた高校のOBが,大阪府警やクボタで剣道を教えていた人で,その人から「就職決まったか? まだ? よし,クボタに入れ」と言われ,一も二もなく「はい!」と返事をし,クボタを受けたら受かってしまったんですね(笑).それから今まで,ずっと鋳物を続けることになりました.
 クボタは高卒で入社すると,最初の1年間にしっかり研修を受けます.そこで材料力学や基礎的なことを勉強し,1年かけて鋳造の実習もします.1年の最後にやっと本当に注湯するのですが,何もないところから物ができてくるというのはとても面白いと思ったのを覚えています.
 鋳物研究部の部長は都島工業高校のOBで,ずいぶんかわいがってもらいました.入社5年くらいしたころ,会社で選抜試験を受けて鉄工短大に入りましたが,これも実は,部長に「こんなのあるぞ,受けてみろ」と言われ,「はい,受けます!」と受けてみたら受かってしまったので行くことになったんです.クボタでは鉄工短大に行くとそれまでの技能の職から,技術の職へコースが変わりますが,そんなことも入るまでは知らないほどでした.
 しかしいざ技術職になってみると,あまりにも忙しくて驚きましたね.それまでの現場の仕事は忙しいときは忙しいけれど,時間のあるときは調べものをする時間も取れたのですが,技術職はとにかくいつでも忙しい(笑).でも以前はできなかった仕事ができるのは勉強になります.品質保証の仕事をしたときは,全国を飛び回り直接お客さんと話す機会も多く,たくさんの経験をして,いろいろな考え方を学ぶことができました.

Q お仕事で思い出に残っているエピソードはありますか

A ディーゼルエンジン用の新しい鋳鉄製シリンダブロックを開発したときのことですが,量産に移った途端に50~60%という膨大な量の不良を出してしまったことがあるんです.X線装置を入れて検査してみたりしたけれどどうしても原因がわからず,藁をもつかむ思いで何かヒントはないかと昔の本を引っ張り出してきてめくってみると,今回のものと非常によく似ている不良の組織写真に目が留まりました.よく調べてみると,どうやら原因は鉛の混入であると書いてあります.そこで急いで材料のところに飛んでいってみると,銅の中に何かきらきら光るものが見えたんです.鉛でした.さっそく鉛を取り除くと,不良はぴたりと止まりました.その後,別の部署で似たような問題が起こっているという話を聞き,見に行ってみると,やはり材料の中に鉛が見えたんです.「キラキラおるやんか! 原因は鉛や!」と(笑).このとき,技術はきちんと整理して次の人にわかるようにしなければならないなと思いました.
 もう一つ,東ドイツに工場を建てたのも印象深い思い出です.ベルリンの壁が崩壊するちょっと前,設備から技術まで,工場まるまる1つすべてを請け負った大きな仕事でした.納期までに工場を建て,従業員に技術指導をし,一定の品質と生産量まで決められている厳しい仕事でしたが,日本とドイツでは環境も文化も異なり,思うようには進みません.最終的に無事に引き渡せたのはいいのですが,結局,請け負った金額と同じくらいのペナルティを支払うことになってしまいました.工場はその後も順調に稼動しており今も動いていますが,このときも会社にはずいぶん損をかけてしまいました.ありがたいですね.こんなことをやっても会社に置いてくれて(笑). 
 仕事をしていて楽しいと思うのは,尊敬できる人との出会いです.短大に進んだときも尊敬できる上司に導いてもらい,大量の不良を出したときも先輩や同僚に技術的にも精神的にも支えてもらいました.製品はずいぶん不良にしたけれど人間は不良になることなくここまで来られたのもすばらしい人たちとの出会いがあったからこそで,大変感謝しています.

 

Q 木挽さんは23歳で5段を取得するほど剣道の達人でいらっしゃいますが,一方でいけばなもなさるとか.

A 妻が池坊のいけばなの先生をしているので,結婚したときに共通の趣味があったほうがよかろうということで始めたんです.皆からは「柄じゃないだろう」と茶化されましたが,やってみると案外鋳物との共通点が多いことに気づきました.いけばなも鋳物も,一つ一つの要素をどう生かし,どう美しく見せるかということを考えなければなりません.いけばなには,自由に生ける自由花といろいろな決まりごとの制約の中で生ける立花・生花の大きく2様式があります.自由花は一見楽そうですが,実際にやってみると決まりごとがある方が楽なんですね.それは会社の仕事でも同じで,いろいろな決まりを作ってやる方が楽なのだなと気付きました.
 いけばなは1200年の歴史がありますが,ずっと変わらなかったわけではなく,時代を捉えて常に変化しています.これは4000年の歴史を持つ鋳物も同じことで,時代の変化を的確に捉えて変わっていかなければ伝統は続けていけないんですね.会社でも,環境の変化は早いけれど,それに気付いて変わっていかなければいい仕事はできません.この年になってようやくその大切さが理解できるようになりました.若い人にも伝えていきたいと思いますね.

 

木挽さんに5つの質問!

 

Q 座右の銘は?

A 「温故知新」

 

Q 日課にしていることは?

A 毎朝,会社のお稲荷さんの安全祈願

 

Q 今いちばんほしいものは?

A 時間

 

Q 夢は?

A 世界各国を回り,鋳物・剣道・いけばななどを通じて産業と文化の発展に寄与すること

 

Q ずばり「鋳物」とは?

A 40年近くの指導をいただいた先生のようなもの