石原安興さん(72歳) 石原技術士事務所所長
第85巻(2013)第6号
転勤8回,工場立ち上げ3回.
”初湯”の記念品3つは
勲章のようなもの
現場も研究職もやり,
大変だったけど楽しかった.
<プロフィール>
- 氏 名: 石原安興さん(72歳) 石原技術士事務所所長
- 出身地: 千葉県
- 略 歴: 1964年3月,早稲田大学第1理工学部金属工学科卒業,同4月日立金属㈱入社.78年1月ベネズエラSHF出向,82年1月九州工場鋳物開発センター,87年2月工学博士,同10月韓国南陽金属㈱出向,93年日立金属㈱真岡工場長,95年同素材研究所所長,97年同本社.2002年4月石原技術士事務所所長,現在に至る
Q 石原さんと金属,鋳物との出会いは大学ですか.
A 私は戦中の生まれで,エンジニアのおじがラジオやいろいろなものを作っているのを見て育ったので,エンジニアになりたいなと思っていたんです.だから大学は機械科に行きたかったのですが,倍率が高くて諦め,それで金属に進んだんですね.だけどその頃はまだ鋳物屋になる気はなかったんです.卒論は堤信久先生の研究室で可鍛鋳鉄の熱処理をやったけれど,でもそれは鋳物そのものじゃないですからね.鋳物屋になると決めたのは,大学4年のときです.大学のOBが日立金属にいてリクルートに来られ,東京の深川工場と本社に案内してくれたことがあって,そこで,よし,ここに就職しようと決めたんです.だから,私が本格的に鋳物にかかわるようになったのは就職してからなんですよ.
就職して最初に配属されたのは日立金属㈱深川工場の冶金課でした.当時工場は人が少なく,今みたいに研修なんかなくて, いきなり実戦で溶解と熱処理を担当し,やがて溶解屋になりました.キュポラの面倒を見るのも仕事なんですが,これがしょっちゅう詰まるわけです.それで自ら炉の中に入ってレンガ貼りをやったり,アーク炉の数十キロある電極を担いで炉の上に上がり,継ぎ足ししたりしていました.今の大学出の連中にそんなことやれって言ったら辞めちゃうんじゃないかというような重労働ですよ.昔は今のようにきちんと分業していないから,溶接からフォークリフト,クレーンの操作からなんでもこなさなければならなかったんです.だけどそういう意味では,いろいろ経験できて面白かったですね.
Q 石原さんは多くの工場の立ち上げにかかわったということですが.
A そうですね.私の日立金属時代は転勤が多く,全部で8回も転勤し,工場の立ち上げには3回かかわりました.工場が稼動すると,初めての湯,初湯(はなゆ)で記念品を作りますよね.だから私は3つも初湯の記念品を持っているわけです.これはなかなかいないと思いますよ.勲章のようなものだと思っています.
最初に工場の立ち上げに携わったのは,深川工場が栃木県の真岡市に移転することになったときです.溶解設備の企画から関わらせてもらいました.
それからしばらくして今度はベネズエラにジョイントベンチャーの工場を立ち上げるというので,私が行くことになりました.38歳のときから3年,ベネズエラで工場の立ち上げにかかわりましたが,そんなにたくさんの人が行っている訳じゃないから,溶解だけやればいいというわけにはいかないので,鋳造から検査から鋳造全般すべてやりました.これは私にとってはものすごく勉強になりましたね.
ベネズエラから帰ってきてからしばらく,今度は九州の鋳物開発センターで研究職をやることになり,九州工場へ行きました.そこでADI(オーステンパー球状黒鉛鋳鉄)の研究をし,論文を書いて,それが日本鋳物協会(現:日本鋳造工学会)の小林賞をもらったんです.そして実はその賞をもらうころには3つ目の工場立ち上げのため,韓国への転勤が決まっていて,また3年半,今度は韓国で工場を立ち上げました.設備から作業所から全部,企画の段階からかかわって.現場の集大成みたいなものでしたね.
東京から真岡に行って,それからベネズエラに行って九州に行って韓国に行って…転勤を繰り返し,工場の立ち上げに3回かかわり,現場と研究職両方やったなんて,そんなにいないでしょう.当時はそれは大変だったけど,今振り返ると楽しかったですね.転勤ばかりで家族には嫌われたけれど(笑).
Q 現在は技術者へのアドバイザなどをなさっているということですが.
A 会社を完全にリタイアしてさてどうしようと思っているときに,川口で困っている技術者がいるから助けてやってくれっていう話が来て.それで石原技術士事務所を立ち上げていろいろ面倒を見るようになって今に至るという感じですね.そのほか日本鋳造工学会との関わりでは,鋳造協会とやっている鋳造カレッジの運営にも携わっています.
日本の鋳物屋さんって,約80%が従業員50人以下の中小企業ですよね.そういう会社に,社内で人材教育やれって言ったって無理なんですよ.だけど,中小企業の若い人にこそがんばってもらわないと,これからの時代,日本の鋳物は勝ち残っていけないでしょう.だから,鋳造カレッジやYFE,素形材センターの講習会とか,そういうものにどんどん出かけてくださいよ,と一生懸命に若い人たちに働きかけているんです.私だけでなく,運営している者は皆そういう気持ちで頑張っています.ぜひ積極的に利用してほしいと思います.
講演で「鋳物ってどこにある?」と言うと多くの人が即答できないんですよね.でも,車も加工機械もみんな鋳物がベースになっている.我々の生活は見えないところでずいぶん鋳物の世話になっているわけです.鋳造は3Kなんていう人がいるけれど,やっている人々はものづくりが好きで,老若関係なく皆嬉々としてやっています.私は今は自分で鋳物を作る機会はなかなかないですが,近所に畑を借りて,家庭菜園をしています.子どもの頃から今にいたっても,やっぱり自分の手を汚しながらものを作るっていうのは楽しいですよ.鋳物も野菜も同じ.いろいろな要素があって,必ずしも同じものなんてできない.だからものづくりは楽しいんですね.
石原さんに5つの質問!
Q 座右の銘は? A 「ベストよりベター」
Q 趣味は? A 家庭菜園,ゴルフ,陶芸
Q 特技は? A 運転(大型免許所有),アマチュア無線
Q 日課にしていることはなんですか? A ラジオ体操(雨の日も雪の日も,出張先でも欠かさない),パソコンを開き,その日のうちにメールの返信をする.
Q 鋳造以外で就いてみたい職業は? A ないねえ.やっぱり,ものづくりですね. |
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